脱線話/リトミックとの出逢い

「私が、問題を持った子を見て感じることは、その子が、成長過程において、『よい聞き手』にめぐまれていなかったのではないかということです」
「ドイツのシュタイナーの学校では、子供の知的な能力と集中力を養うためには『手まめな子』にすることが大事だという考え方で、手を使う活動をすすめています。(中略)心理学的な治療のひとつは、『歌うこと』と『手を使う』ことです」
(『生きる意欲を支える先生』真仁田昭著 より)

へ〜。
そうそう、これこれ。

リトミックは音楽教育でもあるけど、『人間教育』であり、協調性や集中力が育まれると知って、ああ、私はリトミックをもっと知りたい!と、ふつふつ、心が、うおーーーって、なったのが、何年前だ?

個人的な事ですが、我が家の長男はいわゆる「育てにくい子」に分類されると思うのね。
こう言うとイメージが病気的で誤解を招くかもしれないけど現代では「発達障害」に分類されることは確かだそう。
フツーの生活をしているが、息子の個性に、楽しくも時々猛烈に苦悩してしまう育児真っ最中の30代音楽を生業とする母としてはこれは衝撃的で、あたかも新興宗教に入信するべく?(リトミックは踊る宗教、と笑い話にしてる先生もいらっしゃいますが。笑)リトミックへの道へと進み始めるのでありました。

ちっちゃい頃から人懐っこくて、ひょうきんで、素直で、優しい。
感情が豊かなのか、人一倍、喜ぶ、楽しくなる(叫ぶ、走る)、怖がる。
保育園では落ち着きのなさNo.1。お友達や周りが気になって、うろちょろ。
盛り上がると楽しく激しく動いて、悪気なく誰かにぶつかってしまったり。。
お家の中や、大人の集まり、家族でレストラン、電車バス、、そんな場所では厳しく注意しなくともなーんも問題無し。
お友達と遊ぶんでも少人数なら問題ないけど、年長さんになっても、なかなか「ひとに合わせて遊ぶ」とか「ルールのある遊び」が中々上手くならない。トランプ遊びなんかも学びつつも、自分のペースで自分のやりたい遊びで自分の思う様に進めたい、そんな感じ。

育てやすい=いい子
なのか。
大人に都合は良いだけではないか。

このままでも、ゆっくりでも、社会を知って、普通に、人様とお互い様でやっていけるようになるはず。
みーんなそうやって強くなって来た。
そう思う。今でもそう思う。

でもちょっと待って、誰かを傷つけたりしないだろうか。
または、何かでおもいっきりつまづくような事があって塞がってしまわないだろうか。ふと、不安になった。

やっぱり、なにか出来ることをしてあげないと。
ついついそう思う母心。

リトミックは音楽だ。
音楽は日常に溢れているが、好き嫌いもある。
だから全てのひとに(こどもに)、すっと馴染むかは分からない。

音楽が嫌いじゃないなら、これは、新しい切り口の人間教育になる。
しかも、矯正をしていくわけではない。
(厳しいスポーツ教室なんかも嫌いな訳ではない)
自由に表現して行く中で、相手の個性を認め、自分も認められて、成長していく。
真似したり、比べたり、自信をつけたり無くしたり、そんな事もしながら。

なんか優しくなれそうで、きっと強くもなれそう。
すてきだなぁと思ったのです。

どんな個性を持った子でも仲良く、心穏やかに生きていって欲しいものです。
みんなで育てていきたい。
生活は日々大変で、それどころじゃなかったりな世の中ですけどね〜
私の周りには暖かい目の方が多く、恵まれたご縁と環境に、ホントーーーーに、感謝しています!